「・・・そう・・・辛かったろうね」
全てを聞き終えたサタンが、ゆっくりと口を開いた。
「・・・助けに行きたいって顔してるね」
サタンの宇宙のような瞳が、ルシフェルを見つめていた。
何もかもお見通しである―――隠しているだけ無駄だろう。
「責任は負います、罰も受けます、除籍されても
 構いません・・・俺の行動を容赦してください」
ルシフェルが望む事は唯一つ、ルシアと共に生きる事だ。
その為になら、今まで得てきた全てを失ってもいい―――。

我儘である

その様な勝手が赦されないことぐらい、ルシフェルも理解している。
ルシフェルはサタンの眷属、サタンの右腕、サタンの剣なのだ。
その責務を放り出して人間の女と仲睦まじく暮らしたいなどと
そんな勝手が赦されるはずはない―――解っている。我儘だ、と。
それでも、それでもルシフェルは諦めきれない。
いや、諦めたくなど無い。ルシアはたった一人の愛する存在なのだから。

「ルシフェル、君は誰だい?」

サタンの言葉に、ルシフェルは困惑した表情を浮かべる。
「君は“六大悪魔”の一員?“傲慢”を司る堕天使?
 “明けの明星”?“光ある者”?それとも“太陽より失墜
 する者”?・・・君にはたくさんの名前と責務があるよね。」
サタンはベッドから起き上がり、ルシフェルの手をギュッと握る。
「でもね、ルシフェル。」
サタンの手は少し冷たい、ルシフェルはサタンの言葉を待った。

「君は、僕の眷属である前に
 妻を愛する一人の男なんだ」

サタンはそう言って、ニッコリと笑いかけた。
ルシフェルはサタンの言葉に打ち震える。
感謝の言葉を返す事さえままならない。
「大丈夫だよ、ルシフェル。」
サタンはルシフェルの頭を優しく撫でる。
「僕は君を信じているから、ね?」
サタンは震えるルシフェルの身体をギュッと抱きしめた。
「・・・多大なる御恩赦・・・ありがたく承ります。
 この御恩はこの身と、この命をかけて、必ずや
 お返しいたします・・・・ありがとうございます。」
ルシフェルはやっと震える口で語を紡ぎだした。
サタンは小さく頷いて、ルシフェルの身体をそっと離した。
















目に映るのは、灰色の壁と、小さくて四角い窓。その窓の向こうには
庭園がかすかに見える―――色とりどりの花が咲き、蝶が舞う庭園。
外の世界はいつだって美しくて完璧で、素晴らしい・・・けれど
どうしてだろうか、その光景は嘘らしく映って仕方が無い。あまりにも
完璧すぎてワザとらしく見えてしまう、少なくとも彼女にとってはそうだ。
彼女―――栗色の髪に桃色の瞳―――胸は結構大きめで、顔は
かなり美人。身に纏っているのは白いワンピースだ、どこか悲しげな
顔つきで四角い窓から外の庭園を見つめている・・・その手首には
手枷が嵌められていた。彼女が居る場所は小さな部屋である。
灰色の天井、灰色の壁、灰色の床。ベッドと机以外は全て灰色だ。
まるで牢獄―――というか牢獄そのものだろう、出入り口は鉄格子の
扉で、大きな南京錠が掛けられている。彼女は囚われているのだ。
長い時間を、彼女はソコで過ごしてきた・・・もう何年の時が
経ったのか判らない、ただ言えることは、彼女はここから出られない。

「ルシア・フォーリング」
彼女の名前を呼ぶ声が聞こえる、黒髪の女性だった。
白い、ドレスのような服を着た女性である。胸や袖の
部分に薔薇の装飾が施されている、裾は長くまるでV字の
ように下まで垂れ下がった奇妙な形だ。その裾の先にも
薔薇があった、その服の下には黒いスカートを穿いている。
額には四枚の翼が生えた薔薇の飾りが掛けられている。
顔は美人である、しかし、彼女はずっと目を瞑っている・・・。
「そんな暗い顔をしないでください」
そっとルシアの前に食事を差し出す、ルシアは見ようともしない。
「食べてください、さぁ。」
女性の言葉にルシアは答えない。
「・・・ルシアさん、私を憎む気持ちは解ります
 でも、食べなければ貴女が苦しむだけですわ。」
ルシアは答えない、女性は少し悲しそうに表情を曇らせる。
「・・・解りましたわ・・・お下げします」
女性はそう言うと食事を持ってルシアの元から去って行った。

これと同じ事を、もう何回も繰り返している。

ルシアは死んだ、44年前に。今は魂と心だけの状態でこの
牢獄に幽閉されている―――身体は当の昔に滅んでいる。
先程の彼女が言うには、全ての生物には魂と心と身体という
三つの要素があって、その中のどれか一つが滅べば死に
繋がるのだそうだ。ルシアは身体が滅んで死んだ、しかし心と
魂はまだ残っている。なんでも魂と心と身体は密接に係わりを
持っていて、たとえどれかが滅んだとしても他が残っていれば
まだ生き返る可能性さえあるらしい。しかし、三つの要素全てが
滅んでしまうと、もうどうにも出来ないのだ。身体が滅んだからと
いって、食事を取らなくても良いということにはならない。食事から
得た栄養は、身体の代りに魂と心に吸収される為だ。故に食事を
取らなければ他の要素が滅び、完全に無になってしまう可能性もある。

そう教えられても、ルシアは食事を取る気にならない。
お腹は減っている、しかし、喉を通らない。

「・・・ルシフェルさん・・・」

呟くように呼んだ名前―――ルシアは泣き出しそうになる。
何よりも気になるのは、たった一人の愛しい存在。
銀の長い髪、血の様に赫い瞳、切れ長のツリ目、絶世の美貌。

―――ルシア―――

優しく、呼びかける声。
「うっ・・・ふぇっ・・・ルシフェルさぁん・・・」
溢れ、零れていく涙、ルシアは小さく震えだす。
会いたい、会って抱きしめたい、抱きしめて欲しい。
たったそれだけなのに、それだけの事なのに。

「泣くなよ、お嬢さん。」

突如、声がかかった。
ルシアは慌てて涙を拭う、声は窓の向こうから聞こえていた。
太陽の様に輝く金色の髪と夏の青空のように眩しい青い瞳を
持った、一人の青年がルシアに向けてニカっと笑いかけた。






          





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