和やかな時間はあっと言う間に終わった、食卓に
ズラリと並べられていた夕食は1時間も経たないうちに
無くなってしまっていた。もっとも、そのほとんどはマモンが
食べていたのだが。ルシフェルは夕食を終えると、再び自室へと戻る。
手には白いコーヒーカップがあった。ガラステーブルの上に
カップを置き、ソファーに横たわる。コーヒーカップの中から
湯気がうっすら立ち上っているのをルシフェルは横目で見ていた。
夕食後には、いつも必ずコーヒーを飲んでいる。いつもと変わらない夜の習慣―――。

他者には、そう見える筈。

誰にも気づかれる訳にはいかない、これは自分自身で
行なわなければならない事―――誰の手も借りず、全てに
決着をつけなければならない・・・だからこそ、悟られてはならない。
ルシフェルはゆっくり身を起こすと、コーヒーを一口飲んだ。
砂糖もミルクもないブラックコーヒーだ。
一口だけ飲み終えると、カップをテーブルに再び置く。
素肌の上に着ていた白いシャツを脱ぎ、濃紫の服に袖を通す。
金の鎖をしっかり留めて、その上に漆黒の外套を羽織る。
暗く深い夜に映える、銀の髪と赫い眼―――ルシフェルの視線は鋭い。
部屋の窓をゆっくりと開け、そこから外へ出る。足音がたたないよう慎重に。
広い庭の先で、ドラゴン状態のヘスパウスが待っていた。
「・・・行くぞ」
短く、それだけを告げる。
ヘスパウスは深く頷き背中の翼を大きく広げた。
ぶわりと、翼が翻る。ルシフェルを乗せた巨体はみるみるうちに
地面から離れ空へと浮かんでいく―――そして、舞い上がった。
飛翔していくうちに、どんどん城が小さくなっていく。
「作戦を伝えておくぞ、ヘスパウス。」
ルシフェルはヘスパウスの背中にしっかりしがみついている。
「貴様は陽動だ、出来るだけ目立て。貴様の音楽が
 有効活用しやすいよう、狭い場所の方がいいだろう
 そこで騒ぎを起こし周辺の警備兵や近衛騎士たちを
 誘き寄せろ、その間に俺がルシアを攫う、出来るな?」
ルシフェルの言葉に、ヘスパウスは嬉しそうに笑う。
「もちっすよ!」
そう言うと更にスピードを上げた。

神々の住む神界、そこは万全の警備体制で守られている。
中央会議堂を中心軸とした直径300kmの範囲に高位
防御魔法が結界として張られており、まずはそれを打破
しなければ中に侵入することすら不可能である。しかし
打破することは容易ではない、力で打破する事は当然
不可能。高位防御魔法を打破するにはそれを打ち消す
解除魔法が必要不可欠である。解除魔法を唱えることで
高位防御魔法が解除出来れば中に侵入できる、しかし
解除魔法を一度でも間違えれば、不正な解除が行なわれたと
いうことが伝わってしまう。高位防御魔法及び、それを解除する
解除魔法は両方とも数百を越える程、数多の数がある。しかも結界の
高位防御魔法は一月に一度新しいものに置き換えられる。つまり
以前の解除方法を知っていても、一月たてば通用しなくなるのだ。
一度も間違わずに解除する事は、普通なら到底不可能だ―――そう

普通なら

ルシフェルは元・特級熾天使である。特級熾天使とは熾天使の更に
上の階級のことである。魔法術学、体術、精神、能力、戦闘力・・・
それら全てに秀でた者にのみ与えられる天使階級最高の名誉だ。
史上最年少で、その特級熾天使の称号を得たのが他ならぬ
ルシフェル・ディルフェルドルである。ただ偉そうにしているだけでは
ない、本当に偉いし凄いのだ。ただ若干それを自慢しすぎるだけで。
特級熾天使として、ルシフェルは最高の成績を修めている。たとえ
神界の結界だろうと打破出来よう、数百ともいえる高位防御魔法と
それを解除する解除魔法の全てを彼は丸暗記しているのだから。

“失望の楽園”は地獄の最終獄―――つまり十三番目の獄だ。
深く澱んだ空を突き抜けると、いきなり目の前が開けた。白い
螺旋階段が延々と続いている―――下には今しがた出てきた
ばかりの空と、鈍い色の雲が見えていた。この階段は、上の獄と
下の獄とを繋ぐものである。この階段の先には十二番目の獄がある。
「ここまで出てくれば大丈夫だろう・・・門を使うぞ」
ルシフェルは右の指をパチンと鳴らした。
眼前に、音も無く現れたのは、まさしく門であった。咆哮する獅子の
彫刻が向かい合うように置かれている。門の入り口部分は暗く、その
先に何があるかまったく判らない。ルシフェルは手の中に剣を現した。
「大まかな場所しか指定出来んからな・・・何処に
 飛ぶか判らんから、周辺に注意しておけ、行くぞ」
ルシフェルが剣を構えると、ヘウパウスは門の中へと突き進んで行く。

暗い闇を抜けると、そこは宙だった。
少し暗い青色の宙に浮かぶ、巨大な丸い物体―――神界だ。
丸い物体は周囲に張られた結界である、球体状になっていて
神界の全ての建物を余す事無く包み込んでいる。球体の上下には
14枚の翼が生えた巨大な十字架が浮かび、光っている。球体まで
続く、白く長い道の上に、ルシフェルとヘスパウスは立っていた。
「随分近くに出たものだ・・・」
ルシフェルは口の片端を吊り上げる、身を低く屈め、様子を覗う。
ヘスパウスはドラゴン状態から美少女の姿へとチェンジした。
「正門の前に、兵士2名確認っす。」
ヘスパウスの言葉に、ルシフェルは軽く頷く。そして素早い動きで
球体へと近づいていく―――正門から西に外れた場所で止まった。
ルシフェルは深呼吸し、結界にそっと手を触れる―――そして。

『光り輝く焔、立ち昇る神の怒り。
 熱情と報復の刃、打ち砕かれる悪
 信仰は、神にのみ与えられる息吹』

そう言い終えると、結界の一部が開けた―――解除されたのだ。
「見つかる前に侵入するぞ、ヘスパウス、貴様は
 出来るだけ西側に兵を集めてくれ。頼んだぞ!」
ルシフェルはそのまま勢い良く東に向けて走り去って行く。
「はいはい、了解っすよ!」
ヘスパウスはそう言うと、勢い良く右の手を掲げた。

「碧天に舞い響け!“Blue Sky butterfly”!」






          





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